あいぽすと通信  

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[懐かしい円形ポストの報告7回目]

丸型ポスト弟7回目の記事です。

鈴鹿市の山本様より平成11年2月9日付の朝日新聞、夕刊に“赤い丸型ポスト親しみの応援歌”という見出しで、記載せている取材記事のコピーを送っていただきました。
大変ありがとうございます。
記事の内容を早速ご紹介させていただきます。

ポストの応援歌(中村正二さん作詞)
  赤い服きたポスト君
 雨の風の日休まずに
 人の心を伝えんと
 じーっと立ってるポストくん
  赤い着物のポストさん
 背伸びで入れたあの手紙
 遠くの村までつきました
 元気でいてねポストさん



街角で、頭のまわるい赤いポストに出合うと、思わず声をかけたくなる。都会ではすっかり見かけなくなった赤い丸型ポストに、哀愁にをこめて今年(平成11年)1月、松阪市大黒田町、元国語教師、中村正二さん(当時71歳)が「ポストの歌」を作詞した。
大学生の孫娘が作曲し、ポストの応援歌が誕生しました。
中村さん方の敷地内にもポストがある。
「近所の子らと、よじ登って遊びました。いまでも、大人にも子どもにも親しまれていますね」と、愛着はひとしおだ。中村さんは、中学校や高校で長年、国語を教えていた。この春(平成11年)、松阪郵便切手販売協会会長に就任する記念にと、長年の感謝の気持ちを詩に詠んだ。
中村さんの近所の、同市茶与町の八百屋さんの前のも立っている。店番のおばあちゃん(当時79歳)は、こう話す。「20歳で嫁いできたころに、もうありました。朝、目があいたら、眺める。もの言わんでも、かわいいもんですわ」
毎日、布で拭いている人がいる。道の分からない人に、ポストから何軒目と、教える。
鋳物製の丸型が誕生したのは明治41年(1908年)という。
中村さんは「幼稚園や小学校で歌ってもらえば、いいな」といっている。



抜粋してご紹介させていただきましたが、この応援歌、孫娘さんのピアノと、お母さんがフルートを吹いてテープに収めておられるそうですよ。
どのような“おたまじゃくし”なのか。メロディイーを聞いてみたいですね。
この記事にあるように、皆さん、そうとう愛着をもっておられ、嬉しくなってきます。

今回、情報を提供していただいた山本さんは、俳句、川柳を勉強中で、その中から、ポストを詠んだ傑作がありますので、ご紹介させていただきます。

 俳句:七変化 ポストの赤を 採り込みぬ
    五月雨の シャッター喜ぶ ポストかな

 川柳:ポストマン 腹に鍵前 口あける
    このポスト 生きているかと たづねられ


山本さんも、ポストに心惹かれ、このよう詠んでおられます。
今後とも、山本さんのご活躍を祈願し改めてお礼もうしあげます。
ありがとうございました。

続きまして、桑名市のポストくん達をご紹介しましょう。



 常盤町に昭月堂さんのお店の前にシャキっと立っています。
お店の方にお聞きしますと、30年位経っていますよとのこと。



 吉之丸にある桑名簡易裁判所の所にひょっこりと顔を出しています。(桑名局46号)場所が場所だけに、こわばった表情にみえますね。



 赤須賀にある長屋のような雰囲気をかもし出している環境の中に、ぴったりマッチしたポスト君の姿を見ることができます。(桑名局44号)
近所の方にお聞きしますと40年位経っているとのこと移転の噂があるようです。



 西鍋屋町にある“ちょっとおつかれモード”の表情をしているポスト君
近所のおくさんのお話によりますと、昭和26年頃から活躍されていたそうです。
だから、少し、年を召されているから疲れているように見えるのかな。
近く撤去されるお話をお聞きしました。本当だったら残念です。



 風呂町にある“つんとすました感じ”のポスト君です。



 大地丸にある諸戸亭跡に、しっかり目立った姿が目に飛び込んできます。 きれいに化粧せれて、まばゆいばかりでした。 



 側の池で亀が水面から顔を出しているところ、パチリ、ところで亀の顔どこに 写っているのかな?

(めがね)
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