2001年05月28日

保護者の陳述書

この文章は、聖母の家に在籍していた利用者の保護者が、自分の息子さんの受けていた虐待について、リアルに訴えたもので、裁判に陳述書として書いたものです。
今回、固有名詞については○○と表記しました。

陳述書
1 はじめに
私は、昭和49年に聖母の家に入所し、聖母の家におよそ24年間お世話になり、平成10年に退所した○○○○の父です。そしてこの間、私は保護者会の副会長等、保護者会の活動にも係り、聖母の家での息子たちの生活がよりよいものになるよう私なりに努力して来ました。しかし、結局、息子が聖母の家を退所せざるを得なかった理由の一端については、聖母の家の職員である○○さんにお話し、「陳述録取書」(甲第279号証)として提出されているところです。
この「陳述録取書」の内容には何の間違いもありませんが、○○さんは、私や、私の息子の立場を考えて下さり、私の申し上げた中で一部を遠慮がちに報告しておられます。
そこで、息子の退所までに私自身が体験したことや、私たち聖母の家に我が子を託する親の立場や気持ちについて、今回は、より詳しく、又率直に述べさせて頂くことにしました。

2 聖母の家退園の経緯 
先ず、私の息子○○の障害についてですが、私の息子は重度の障害があり、この障害に伴って、難治性の転倒する癲癇発作がある為、強い抗痙攣剤薬を常に服用しています。しかし、家庭では私やお客さんにお茶を入れてくれたり、優しい言葉をかけてくれたりする優しい気持ちのある息子です。そして、聖母の家にいた時は、叩かれることがあっても、他の人に対して手をあげることはありませんでした。
聖母の家で永い間、お世話になったのに退園することになったきっかけは、自分自身が命に関わる大きな病気をし、改めて息子が聖母の家で受けている苦しみについて考え直す機会を与えられたことですが、息子を退所させた本当の理由は、聖母の家の中で息子が受けていた体罰・人権侵害も含めた聖母の家の対応を考えると、聖母の家に任せられなかったというのが実際のところです。自分も大きな病気をして苦しい思いをし、息子も聖母の家で苦しい思いをさせたくないと改めて決意したのです。
但し、私も古い人間であり、永い間世話になった聖母の家を退園するにあたっては、聖母の家とけんかをして出てくるのがいやでしたので、あくまで自分が大病したという理由で連れて帰りました。息子が施設で受けていたことについてあえて聖母の家に苦情を言って退所するという形はとりたくなか ったのです。
 
 3 息子の受けていた体罰・人権侵害
(1) 帰省の時に気がついたこと
    息子が聖母の家にお世話になっていた頃のことについて述べるとすれば、聖母の家では、春、夏、冬の年に3回、2週間づつ帰省がありました。その際、いや応なく眼に入ったことについて述べざるを得ません。
息子を我が家で入浴させた時に身体を見ると、背中に「刀傷」と言えるようなみみず腫れがありました。それは、蛇が背中に這っているようで、フチが赤くなっており、物で叩かれたとしか思えない傷でした。
又、息子の身体には、いろんなところにあざができており、そのあざの場所は、転んだりした時にできるような場所ではなく、太ももの内側であったり、両腕の内側の柔らかい所であったりしました。又、その痣も所謂「花が咲いている」というもので、渦巻きになって青地になっており、ちょっと抓るだけで出来たようなものとは決して思われず、「相当長いことしかも相当強く抓っていた」か、「抓ったまま捻り回して」できたものではないかとしか考えられないものでした。
確かに息子は、癲癇発作があるため強い薬を服用しており、その結果、どうしても尿失禁したり、大便失禁したりということがあって、職員の方には大変だと親の私も思います。しかし、だからといって、物で叩いたり、抓ることは決して許されることではありません。
一方、息子が体罰を受けていたことは、息子の身体から分かっただけではありません。息子に着せた新しいジャンバーの襟や腕の付け根の部分がよくほころびているということもあったのです。そのほころびが、引っ張っても簡単にできる程度のものではなく、相当強く引き摺られたとしか思えないものでした。
更に又、聖母の家で怪我をして、病院で縫合するほどひどくても、職員によって怪我をした理由の説明が異なり、不信感を抱きました。
(2) 面会の時に気付いたこと
私たち親が子供に触れる機会は、以上述べた帰省の外に月2回の面会がありました。そこで気付いたことは以下の通りです。
先ず、ある面会の際の昼食時のことですが、職員も何も言わないので昼食は食べたものだと思っていたところ、食堂に行くと息子の食事がそのままお盆にのせておいてあり、昼食を食べさせてもらっていないことがありました。
又、4棟体制になって以後、息子は、のぞみ男子棟においていつも鍵のかかる部屋に閉じ込められ、職員に言って開けてもらっていました。息子は特に無断外出をする訳でもないのに、このようにトイレのない部屋に閉じ込められていたことによって、失禁が習慣付けられ、ひどくなっていったのだと思っています。
更に又、息子が風邪の為、部屋で休んでいたので、部屋に入ってトイレに行こうと声をかけても、膝が立たないのか、腰が立たないのかひょろついて部屋の目の前にあるトイレにも行けないほどの状態にまで弱っているということもありました。私たち夫婦でかかえてトイレに連れて行きましたが、この時の様子から、自分としてはどう考えても、息子は十分な水分も貰っていないので、こんなに立ち上がれない程弱ってしまったとしか考えられませんでした。この件については、心配であったので、保護者会の集まりでも発言しました。すると○○会長は「それが事実なら大変だ」というだけで、一切改善を働きかけ様とはせず、逆に、それ以上は言えない雰囲気になってしまいました。
又、偶然私が、食堂の窓の外から投薬を受ける息子の様子を見ていると、職員が水も与えないで、大量の薬を飲ませていました。息子の口のまわりには、薬の粉がたくさんついており、見ているだけの自分が苦しくなる程で、私は、思わず食堂へ入っていき、お水をもらって飲ませたほどでした。
(3) 何故、入所中問題にしなかったのか
私は、先にも述べましたが、保護者会の役員もしていて、息子のことや、保護者会の事など、聖母の家に対してどちらかというと発言してきた方です。しかし、聖母の家に対して我が子の受けてきた体罰・人権侵害行為について、訴えることが出来ませんでした。我が子が健常者ならば、診断書をとって抗議したのですが、息子は、障害をもっており、聖母の家でいろいろ世話をかけているので出来なかったのです。
そして、私は、物が言えなかったと言うだけに止まらず、聖母の家が提出した文書に署名を行っています(乙第141号証の3、151号証)。署名した理由は、反対の意思があっても、組織で決定したら従っていくのが保護者会として仕方がなかったからです。又、乙151号証の要望書については、その中で、「この度、○○副会長より文書をもって本件〜」というくだりがありますが、このくだりは事実に反しています。私は、文書の提出などした覚えはありません。
他の親御さんにとっても、物が言えない、という事情は個々の保護者も保護者会も全く同じで、聖母の家の管理者の方針に従ってしまうことは、聖母の家に子どもを預けて世話になっているという気持ちからです。家で暴れたり、四六時中見ていなければならないような問題のある手のかかる子供も多く、聖母の家から出ていってくれと言われたら困るので、意思に反することでも、聖母の家から頼まれたら仕方がないのです。
聖母の家では、保護者会の会長が、理事の一人なのでなおさらです。

4.最後に
  最後に申し上げたいのですが、今年の4月の初め頃、○○理事長が、私の自宅を訪れ、「○○さんの書いた録取陳述書は心外だが本当か。」と言われました。私は、「○○さんの書いた陳述録取書は控えめなくらいである」と述べました。  
以上、聖母の家が、聖母の家で生活している人にとって、又、地域の障害者にとっても安心して生活できる場所になってくれることを祈ってありのままの事実のみを述べさせていただきました。
  

投稿者 user7 : 10:51

2001年05月25日

収容所そのものの入浴状況

聖母の家では、入浴においても職員から罵詈雑言を浴びせられています。これについて聖母の家管理者は『問題ない」としています。

聖母の家あゆみ男子棟の入浴状況

職員: 出よ!出よ!汚いなおまえの頭、手、出してくんな、お前は、足出せ!足、足、足出せ!足を!何しとんのやお前は!何しとんのやお前は!ほんまに、お前、何しとんのやお前!起て! 起て、起て、起て!      

利用者: えー

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投稿者 user1 : 15:20